<追悼> 日野原重明先生を偲んで
平成29年7月18日、本学会名誉理事長日野原重明先生が逝去されました。
本学会では、日野原重明先生の予防医学に対するこれまでのご貢献を讃え、
学会で保有するご略歴、文献、写真、動画をまとめ、ホームページで公開することにいたしました。
日野原先生のこれまでのご指導に感謝し、謹んで哀悼の意を表します。
一般社団法人日本総合健診医学会
追悼文
日野原重明名誉理事長を偲ぶ
一般社団法人日本総合健診医学会 理事長 福武 勝幸
日本総合健診医学会の名誉理事長であられた日野原重明先生が2017年7月18日早朝、105歳で天に召されました。葬儀は7月29日に東京都青山葬儀所にて、多数の関係者と一般の方々など4000人が参列するなか、人々を温かく包み込むいつもの優しいお顔の写真のもとで厳かに行われました。
日野原先生は1911年(明治44年)に山口県にお生まれになり、京都帝国大学医学部をご卒業後、1941年から聖路加国際病院に内科医として勤務され、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、聖路加国際病院理事長、聖路加国際病院名誉院長、聖路加国際大学名誉理事長を歴任され、1999年に文化功労章、2005年に文化勲章を受章されました。
英国BBCが「100年以上に及ぶ卓越した人生」と伝えたように、日野原先生の人生は波乱万丈であり、多彩であり、素晴らしいものであったと思います。日野原先生は「生活習慣病」という言葉を提唱され、それは今や、皆が使う言葉として定着しています。また、健診や人間ドックという領域も日野原先生のお力によって発展してきました。1954年に国立東京第一病院と聖路加国際病院において、日本で最初にはじめられた健診を聖路加国際病院で担当されたのが日野原先生であったそうです。後に、この健診が「人間ドック」と呼ばれるようになりました。その後、臨床検査の発展により自動機器とコンピュータを駆使した短時間で信頼性の高い健診が可能になり、日野原先生は1973年に総合健診医学会の前身である「日本自動化健診システム研究会」の設立に発起人として参加され、1975年の第3回学術大会では大会長を務められました。本会は名称を日本自動化健診学会、日本総合健診医学会へと変えてきましたが、日野原先生のご貢献は顕著であり、1973年~1986年は副会長、1987年~1996年は会長、2007年~2015年は法人理事長をお務めいただき、学会を発展させ信頼を高めていただきました。
2015年に理事長を退かれた後も、理事として、また名誉理事長として理事会へご出席いただき、審議事項へのご意見や我々のメンターとしてのお言葉をいただきました。私が40歳以上も年下の未熟な理事長であり、ご不満も多々あったと思いますが、理事会ではしばしば運営についてお褒めの言葉を述べていただき、円滑な学会運営への温かい心配りに感謝申し上げるばかりでした。昨年10月、105歳を迎えられた日野原先生と一緒に出席させていただいた台北での国際健診学会理事会、そして台湾と日本の新老人の会のメンバーで行われた誕生お祝いの会で楽しまれていた日野原先生のお元気な様子が忘れられません。
日本総合健診医学会の発展に努力することをここにお誓いするとともに、これから日野原先生が憩いの時をお過ごしいただけることを心から願う次第です。
略歴・ご講演・御写真
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日野原重明先生 略歴・学会役歴 |
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基調講演・市民公開講座 |
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学術大会でのご様子 |
動画
(企画:日本総合健診医学会)健診に携わる方々へ 100歳のわたしからのメッセージ
日本総合健診医学会40年の歩みと国際健診学会での活動